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万有引力の法則 [日常]

Isaac Newtonが1687年に発表した"Philosophiae Naturalis Principia Mathematica"(「プリンキピア)」)。
彼はこの著作の中で、万有引力の法則と、それに基づく運動力学を提唱した。

「万有引力の法則」。
日本人なら誰でも子供のころに習う名前。
「ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て思いついた」という、あまりにも有名なエピソードとともに。

が、「万有引力の法則」を習ったその当時に、「なんだかわからないけどすごい発見らしい」というだけでなく、その意義を理解できた子供が何人いるだろうか。
そもそも、教える側の先生が、この法則の意義をどの程度理解しているだろうか。
かく言う自分も、文系の悲しさ、ごく最近まで意義を理解していなかったのだけど。

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ニュートンがプリンキピアにおいて万有引力の法則とニュートン力学を明らかにするまでは(ただし、万有引力の法則はニュートンの革命的着想というわけではなく、同時代の学者は漠然とではあるがほぼ同様の考えを抱いていた。もちろん、「漠然とした考え」と「著作において思考を明確化し、整理すること」との間にはものすごく高い壁があるので、その事実によってもニュートンの偉大さはいささかも損なわれることはない。)、天文学者たちは、「天上の星と地球上の物は違う法則で動いている」と考えていた。

つまり、空のどこかに境界線があって、それより上は天体用の運動法則に、それより下は地球用の運動法則に従うと考えられていたわけである。

ニュートンが生きた時代は、科学の発展は天文学とともにあったといっても過言ではない。
天体の運動の法則を明らかにすることには、疑いもなく当時最高の科学の1つであった。
ニュートンより100年ほど後に生まれた歴史上最も偉大な数学者の1人であるガウスも、後半生の40年間はゲッティンゲンの天文台で天体の運動法則を調べることに大きな力を注いでいる。

そもそも、コペルニクス、ガリレオ=ガリレイによる地動説が生まれてきたのも、「天動説だと天体の運行をうまく法則化できない」という理由による。
たとえば、「惑星がどのように動くか」ということは、天体を観測すれば記録できる。これは「事実」なので、すべての思考の根拠は、この観測結果によらなければならない。

天動説だと、この惑星の動きを法則化するために、天球上に周天円と呼ばれる補足的な概念を導入しなければならず、しかも1つの周天円だと計算結果と実際の天体の動きが一致しないので、複数の周天円を導入しなければならない。その結果、天球上に複数の周天円が並び、体系は恐ろしく複雑怪奇になる。
さらに問題なのは、そこまでして周天円で補足しても、実際の天体の動きと周天円モデルによる計算法則が完全には一致しなかったということである。

そこで思考を転回し、「実は太陽や惑星が地球の周りを回っている前提そのものが間違っているのではないか」として、地球が太陽の周りを回っているという前提で計算を行ったところ、周天円を導入した天動説モデルより遥かにシンプルで、しかも正確な結果が得られる計算法則が得られた。
つまり、地動説は、そもそも計算上の必要から生まれたものであって、宗教やイデオロギー(「太陽が中心であるべき」という主義主張)の産物として生まれたものではない。
カトリックの教義に基づく強固な反対、弾圧があったにもかかわらず、地動説が最終的に科学者に支持されるに至った理由は、まさにこれである。

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さて、ニュートンが万有引力の法則に着想するに至ったそもそもの動機は、ケプラーの法則にある。
ケプラーは、ティコ・ブラーエの天体観測記録から、惑星の運動を以下のように定式化した。

第1法則 : 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く
第2法則 : 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である
第3法則 : 惑星の公転周期の2乗は、軌道の半長径の3乗に比例する

過去の常識に照らせば、これはあくまで天体の動きを定式化したものにすぎず、「天体用の運動法則」にすぎなかった。
ケプラーが定式化した天体の運動と、「地球上で物が落ちる」ということとは、それぞれ全く無関係な法則に従っていると考えられていたのである。

ニュートンの万有引力の法則の発想の意義は、この天体の運動法則と、地球上で物が落ちるという現象とが、同じ法則に基づくものであることを明らかにした点にある。
宇宙において惑星が動くことと、地球上でリンゴが落ちることは、全く同じ「重力」=「万有引力」の力によって引き起こされるものであるということを示したのである。

地球上では物が落ちる 
→ 物は地球に引かれている 
→ このような物を引く力を持つのは地球だけなのか、他の惑星や太陽も同じ力を持つのではないか。星に限らず、すべての質量ある物は同じ力を持っているのではないか。
→ 太陽や地球を含む惑星がそれぞれ引き合っているとすると、なぜそれぞれがぶつからないのか。
→ それぞれの天体は、お互いに引き合う力とは反対の方向に働く力を持っているのではないか。
→ その「反対の方向に働く力」はどこから生まれたのか。
……

と思考を推し進めていった結果、天上の世界も地球上も、すべて同じ法則で動いているという発想に至ったのが、万有引力の法則の「発見」なのである。

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この発想に至っただけでも十分すごいが、さらにニュートンがすごいのは、その運動法則を数学的に定式化したこと。
つまり、「天体の運動と地球上で物が落ちることとは同じ原理で動いていますよ」と言うだけではなく、「その原理とはこういう原理で、こういう数式で計算できますよ」というところまで示したということである。

慣性の法則、運動方程式、作用・反作用の法則を、「力」という概念(プリンキピアにおいては物体相互間の運動量の変動(交換)として定義される)を利用して、数学的に定式化したのがニュートン力学なのである。

運動を数式化できれば、「予測」が得られる。
たとえば、ある物体の重さとその物体にかけられる力が与えられれば、何分後にどの程度の速度でどこを動いているかということが計算できるのである(もちろん、摩擦等の問題もあるので話は単純ではないが)。

人間は、この「予測」に基づいて文明を発展させてきた。
ある行為を行ったときに、その結果として何が起こるかを、明確に予測できるということは、その予測できる人間に大きな利益をもたらす。
その「予測」は、近代以前は経験則によるものがほとんどであったが、近代では数学的な計算根拠によるもののほうが圧倒的に多い。

その究極の形の1つが、宇宙船の打ち上げで、あれは「どの程度の速度でどの方向に向かって打ち上げれば、目的地まで到達できるか」ということをすべて計算して発射されているのである。
たとえば、近年打ち上げられた土星探査機カッシーニ。
打ち上げの日は1997年10月で、土星軌道に入ったのは2004年6月である。
7年後の土星の軌道やスイングバイの角度等をすべて計算して、(微修正は行ったにせよ)概ね計算どおりに宇宙船を動かしたのである。

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現在の物理学では、ニュートンの万有引力は絶対的な物理法則ではなく、重力が弱い場合の一般相対性理論の近似であると考えられている(ちなみに、ニュートン力学は、速度が光速よりも十分遅いときの特殊相対性理論の近似になる。)。

ただ、人間が通常感じるスケールのものは、ほとんどすべてこの「近似」で解説できるため、相対性理論の発見は、いささかも万有引力の法則の発見の偉大さを減じるものではない。

プリンキピアが発行された1687年は、ちょうど日本の江戸時代の5代将軍徳川綱吉の時期にあたる。
日本で御犬様御犬様とやっていたのと全く同じ時代に、天体の運行と地球上の物理法則を数学的に定式化した本が発行されているということ。

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ここまで説明した後、先生はにっこり笑って生徒たちに呼びかける。

ね、ニュートンってすごい、万有引力の法則ってすごい、と思わない?


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