SSブログ

怖ゲー [日常]

昔から、恐怖系のものは駄目だった。

怖い小説を読むと、夜中トイレに行くのが恐くてしょうがなかった。

お化け屋敷も死ぬほど苦手。

ホラー映画は論外。

「怖いことが楽しい」人の気持ちは今でも理解できない。

--

日本に帰ってきたときに買ってきたこのゲーム。

夜想曲(リンク先参照)

「弟切草」、「かまいたちの夜」と同じ、いわゆる怖さが売りのサウンドノベル。

大学生のときにプレステ版を友達から借りて、怖いにもかかわらずどっぷりとはまった。

なんというか、怖いんだけど、怖いだけじゃなくてストーリーがしっかりしていて、無闇に怖がらせるだけではないところがとても気に入った記憶がある。

3月に日本に一時帰国した際に、DS版が出ているのを偶然発見して、ついノスタルジー買いしてしまった。

--

インドに帰ってきて早速プレイ。

やっぱり怖い。

なんせ10年前に1度プレーしただけのゲームなので、記憶もいい感じで薄れている。

テキストの怖さはもちろん、画像や効果音のタイミングも、怖くて怖くてしょうがない。

たぶん、10年前に怖がった部分と全く同じところで怖がっているんだろうなとは思いつつ。

インドにジャパンの幽霊は出ないだろうとは思いつつ、1人で夜暗い部屋に帰ってくるときに、無意味に恐怖を覚えたり。

でも、先を読まずにはいられない。

それがこの作品の魅力。

--

こうして、今日も夜中1人でトイレに行くのに怯えつつ、インドで「夜想曲」にはまっているのです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

2月14日 [日常]

バレンタインデーが来ると、1人の英雄の死を思い出す。

マルコ・パンターニ。

1998年のダブルツール覇者。

2004年2月14日に、イタリアのリミニのホテルの一室で、孤独のまま薬物中毒死した。

イタリアの英雄がああいう最期を遂げたことに、当時ものすごい衝撃を受けたことを思い出す。

命日は日本人にとって覚えやすい日だった。

自分も含め、これからもバレンタインデーが来るたびに、彼の死が頭をよぎる人がいるのだろう。

山岳の王者への哀悼を込めて。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「紅の豚」を見る [日常]

DVDは持っているのだけど、最後に見たのは2年くらい前。

久しぶりに「紅の豚」を見てみた。
今回は少し趣向を変えて、DVDに入っていたフランス語版で、日本語字幕を付けて。
ちなみに、フランス語の声はジャン・レノがあてていたりする。

やっぱり良い。
何回見ても、最後の加藤登紀子の歌を聴くと、全身に鳥肌が立つくらい感動するのはなぜだろう。

「宮崎アニメの中で何が一番好きか」という質問は、それこそ日本中の色々な人の間で交わされている質問なのだろうけど、もし自分が同じことを聞かれたら、迷わず「紅の豚」と答える。

かなり前に、仕事で宮崎アニメに関する過去の契約書を見る機会があったのだけど、作業分担の際には当然のように「紅の豚」の担当を志願した(もちろん、契約書なので、面白おかしいことが書いているわけでは全くない)。

なぜそんなに好きなのか、と問われると、うまく答えられない。

美学、ノスタルジー、作品全体を包む暖かさといった全ての要素が調和していること。
それだけではなく、主人公が大きな空洞を抱えていること。

先の戦争の英雄が、自分自身を豚に変えるという選択するに至った心境。
その絶望や諦念の深さを想像するだけで、息を呑む思いがする。

「それでも鮮やかに生きる」ことへの憧れ。

--

宮崎駿監督が、どこかのインタビューで、「ポルコがジーナの4番目の夫です」と答えたらしい。

大人と子供を区別する基準(もちろん、法的な意味ではなく、精神的な意味において)として、以下を提唱したい。

上記宮崎監督の発言が事実であるとして、「紅の豚」を見終わった直後に、監督の意図がそうであったと聞いて、

・納得、満足、安心といったポジティブな感想を抱く人 → 大人

・「フィオはどうなるの?」と不満に思う人 → 子供

勿論戯言だが、例えば、小学生あたりだと、ほとんど全員後者の感想を抱くんじゃないかと勝手に思っている。中学生だと前者2、後者8くらい、高校生だと半々くらいかな。


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

花発多風雨 人生足別離 [日常]

年末年始日本に帰ったときの話。

--

東京で生活を始めて以来、ずっと髪を切ってくれていた美容師さんのところに髪を切りに行った(インドでは怖くて一回も髪を切れなかった)。

年末でお店をクローズするとのこと。

「今後はどちらに行かれるんですか」
「地元の四国に戻って、自分のお店を開くつもり」

四国は遠すぎる。
お互いにそれはわかっていたのだろう。
自分から新しいお店について聞くことはなかったし、美容師さんもそれ以上の説明はしなかった。

--

髪を切った後、近くのレストランにご飯を食べに行った。
行きつけ、というほどではないが、それなりによく通っていたお店。

入店してメニューをもらった際に、「すみませんが、本日で閉店のため、鮮魚系はご注文いただけません」と言われた。

ふと見渡すと、確かに本日で店じまいとの張り紙が張ってある。

あるものだけを注文し、支払いを済ませて店を出た。

店長は深々と頭を下げていた。

--

今度日本に帰るときには、また何かが変わっているんだろう。

 


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

Team Discovery Channel [日常]

ついに解散まで秒読みに入った。

Team US Postal Service 時代のランス・アームストロングを中心とした圧倒的な強さ。

アームストロングが去り、チーム名がDiscovery Channel になった後も、フロイド・ランディス、アルベルト・コンタドールと王者を輩出してきたチーム。
(前者は自らのドーピングで失格、後者は他選手のドーピングで繰り上げ優勝)

過去10年間ツール・ド・フランスを支配し続けてきた、この名チームが解散するしかなかったというのはものすごく残念。
これも時代の流れなんだろうか。

ヤン・ウルリッヒの引退のときに感じた寂しさと同じ寂しさを感じつつ、去り行くチャンピオンチームに敬意を込めて。

--

チームの解散に伴い、スキル・シマノに移籍する別府史之選手。
今後とも頑張ってほしい。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

日本の平和を言祝ぐ [日常]

いやあ、平和平和。

現職の国会議員がUFOについて質問。

それに対して内閣は、「(UFOについては)『これまで存在を確認していない』とする見解を閣議決定」。

現職の防衛大臣は、「(UFOが)存在しないと断定する根拠がない以上、私自身どうなるか考えたい」。

官房長官に至っては、政府決定に不満たらたらに、「絶対いると思っている」、「そうじゃないと、(宇宙人が描いたとの説もあるペルーの)ナスカの地上絵なんて説明できないでしょ」。

UFOについて大真面目に内閣が閣議決定したこともすごいけど、それに対して現職の防衛大臣、官房長官が、記者会見で「個人的な意見」を発言していることもすごい。

日本の平和と安定を象徴していて、本当にめでたい(結構マジで。)。

--

でもね。

外から見ていると、ちょっぴり不安になってしまうわけです。

なんといっても、世界屈指の軍事力を保有する国(行使するかどうかは別問題として)の、現職の防衛大臣の発言。

きっちりと外国でも報道されているわけです。

これを読んだ人間が、日本の政治家、日本の政治、そして日本に対してどういう印象を抱くか。

「お茶目な国だなあ」、と思ってくれれば良いのだけど。

でも、少なくとも官房長官は(たぶん内閣や防衛大臣も)ジョークのつもりはないわけで。

個人として何をどのように信じるかはまさに個人の自由だけど、せめて現職の間くらいは、「日本国の大臣の発言の重み」をもう少し意識すべきではないかと。

あえて閣議決定とは別に「個人的な意見」を述べるべきことなのかどうかの判断も含めて。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

橋下弁護士への懲戒請求に対する同弁護士のコメントにモノ申す [日常]

何だかやたらと長いタイトルになりましたが、今回は、12月17日に約340人から所属先の大阪弁護士会に懲戒請求をされた橋下弁護士のコメントを取り上げたいと思います。

少し長くなりますが、以下にニュース全文を引用します(引用元はYahooニュースです。)。

--

橋下氏に340人が「逆」懲戒請求 光母子殺害めぐり
12月17日22時35分配信 産経新聞

 大阪府知事選への立候補を表明している弁護士の橋下徹氏(38)が、平成11年に起きた山口県光市の母子殺害事件の裁判をめぐり、被告弁護団の懲戒請求をテレビ番組で視聴者に呼びかけたことに対し、全国の市民ら約340人が17日、「刑事弁護の社会的品位をおとしめた」として、橋下氏の懲戒処分を所属先の大阪弁護士会に請求した。
 懲戒請求書によると、殺人などの罪に問われている被告の元少年(26)=広島高裁で差し戻し控訴審が結審=の主張を弁護団が擁護することについて「刑事弁護人として当然の行為」と主張。橋下氏の発言は弁護士法で定める懲戒理由の「品位を失うべき非行」などにあたるとしている。
 橋下氏は、5月27日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ系)で、元少年の弁護団が1、2審での主張を上告審以降に変更し、殺意や婦女暴行目的を否認したことを批判。「もし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」などと視聴者に呼びかけた。
 懲戒請求に対し橋下氏は「特定の弁護士が主導して府知事選への出馬を表明した時期に懲戒請求したのなら、私の政治活動に対する重大な挑戦であり、刑事弁護人の正義のみを絶対視する狂信的な行為」とコメントした。

--

光市の被告弁護団と橋下弁護士の確執は以前から知っていましたが、特に興味もなかったのでこのブログではとりあげていませんでした。
が、今回の橋下氏のコメントには、同じ弁護士として強い違和感を感じたため、少し苦言を呈してみたいと思います。

上記報道によれば、橋下氏のコメントは、「特定の弁護士が主導して府知事選への出馬を表明した時期に懲戒請求したのなら、私の政治活動に対する重大な挑戦であり、刑事弁護人の正義のみを絶対視する狂信的な行為」とのことです。

まあ気持ちはわかります。
実際、府知事選に立候補したこのタイミングでの懲戒請求には何らかの意図を感じますし、同時に340人もの人間が懲戒請求を申し立てたというのも、背後に組織的、政治的な動きを感じます。
「政治活動に対する重大な挑戦」と言いたくもなるでしょう。

が、その後の「刑事弁護人の正義のみを絶対視する狂信的な行為」という部分はいただけない。

刑事弁護において、刑事弁護人は被告人の言い分を述べ、被告人の権利を擁護する役割を担っています。それは、少なくとも日本の刑事訴訟法においては、正義であるとか悪であるとかということを超えた、1つの役割なのです。

なぜこのような役割が刑事弁護人に与えられているかについては、「被告人の権利保障」、「適正な刑事手続の保障」、「多角度から事件に光を当てることによる真実発見」等の実質的根拠(それが真に「実質的根拠」たりうるものかどうかという吟味は必要ですが。)に基づく説明がされています。
このうち、「被告人の権利保障」や「適正な刑事手続の保障」は、憲法に由来するものであり(憲法31条以下参照)、その憲法を受けた刑事訴訟法、弁護士法により、刑事弁護人にその擁護の役割が課せられているものです。

刑事弁護人が、被告人の言い分を、(それがどんなに前後一貫しておらず、かつ荒唐無稽なものであっても)主張しないというのは、この役割を放棄していることになるのです。
役割を果たすことが、「一般市民の感覚から離れている」、「厚顔無恥」と言われてしまうのであれば、刑事弁護人としては、「だったらそういうことをしなくていいように、憲法を改正して、刑事訴訟法と弁護士法もついでに改正してくださいよ。」と言うしかありません(厳密には刑事被告人の権利に関わる条文の改正は、憲法の改正限界に引っかかってしまうと思いますが)。

「そのような憲法の規定自体がおかしい」、「なぜ犯罪者にわざわざ弁護人をつけてやらなければいけないのか」と思うのであれば、改憲運動を起こして刑事被告人の権利に関わる憲法の条文を改正してもらえればよいのですが、少なくとも現時点では、被告人の権利保障に係る憲法の規定は生きていますし、それに基づく刑事訴訟法、弁護士法も有効です。
そして法令が有効である以上は、刑事弁護人はそれにしたがって役割を果たすしかありません。

どうも橋下弁護士は、刑事被告人の弁解の権利が憲法上の権利であるということをすっかり忘れてしまっているような気がしてなりません。
刑事弁護人は、別に自らの信念や正義に基づいて弁護活動を行っているのではなく(もちろん、そういう人もたくさんいますが)、日本国の最高法規である憲法により、刑事被告人の権利を擁護する役割が課せられているから弁護活動を行っているのです。

正義か悪かという曖昧かつ相対的、主観的なものが、刑事弁護活動の形式的理由ではない以上、「刑事弁護人の正義のみを絶対視」という反論は的外れと言わざるをえません。
(まあ、340人が同時に懲戒請求をした、というあたりはある種「狂信的」ではあるでしょうが)。

もし、橋下弁護士が、「そのような憲法上の権利規定そのものが市民感情から乖離しており、正義に反する」とおっしゃるのであれば、是非とも改憲活動に勤しんでいただき、憲法を改正してください。
そうすれば、荒唐無稽な言い訳をする被告人の言い分を法廷で述べる必要もなくなり、刑事弁護人の羞恥心に対する負担もだいぶ軽減されると思います。

弁護士も人間。
ごくごく一部の変態を除いて、「甘えるつもりで殺す気はなかった」、「復活させるために死姦した」なんて弁解を真剣に法廷で述べることに羞恥心の疼きを感じない人などいないのですから。


nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

志村先生の中国本 [日常]

なんとあの谷山=志村定理の志村五郎先生が中国説話文学に関する解説書をご出版されていた。

中国説話文学とその背景 (ちくま学芸文庫)

中国説話文学とその背景 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 志村 五郎
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/09
  • メディア: 文庫

出版年月は2006年9月。
1年以上も気がつかなかったとは不覚…

さっそくAmazonで注文。年末に一時帰国するときにインドに持ってこよう。
ちなみに、このAmazonのカスタマーレビュー、秀逸です。
超一流は裏芸でも超一流であるという意見に全面的に同意。
1/f ゆらぎの文体というのも絶妙な比喩。

それにしても、数論界の巨人が中国説話文学にもご興味をお持ちだったとは。
日本が生んだ至高の数学者の1人である志村先生が晩年に到達した境地に興味津々です。

久しぶりに、読むのが待ちきれないと思える本に出会えました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

差し入れ [日常]

高校の友人が差し入れということで、インドに漫画を送ってきてくれた。

「きまぐれオレンジロード」全巻。

そのセンスや良し。

夜一人で読んで、布団の上でもだえている30歳。


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

万有引力の法則 [日常]

Isaac Newtonが1687年に発表した"Philosophiae Naturalis Principia Mathematica"(「プリンキピア)」)。
彼はこの著作の中で、万有引力の法則と、それに基づく運動力学を提唱した。

「万有引力の法則」。
日本人なら誰でも子供のころに習う名前。
「ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て思いついた」という、あまりにも有名なエピソードとともに。

が、「万有引力の法則」を習ったその当時に、「なんだかわからないけどすごい発見らしい」というだけでなく、その意義を理解できた子供が何人いるだろうか。
そもそも、教える側の先生が、この法則の意義をどの程度理解しているだろうか。
かく言う自分も、文系の悲しさ、ごく最近まで意義を理解していなかったのだけど。

--

ニュートンがプリンキピアにおいて万有引力の法則とニュートン力学を明らかにするまでは(ただし、万有引力の法則はニュートンの革命的着想というわけではなく、同時代の学者は漠然とではあるがほぼ同様の考えを抱いていた。もちろん、「漠然とした考え」と「著作において思考を明確化し、整理すること」との間にはものすごく高い壁があるので、その事実によってもニュートンの偉大さはいささかも損なわれることはない。)、天文学者たちは、「天上の星と地球上の物は違う法則で動いている」と考えていた。

つまり、空のどこかに境界線があって、それより上は天体用の運動法則に、それより下は地球用の運動法則に従うと考えられていたわけである。

ニュートンが生きた時代は、科学の発展は天文学とともにあったといっても過言ではない。
天体の運動の法則を明らかにすることには、疑いもなく当時最高の科学の1つであった。
ニュートンより100年ほど後に生まれた歴史上最も偉大な数学者の1人であるガウスも、後半生の40年間はゲッティンゲンの天文台で天体の運動法則を調べることに大きな力を注いでいる。

そもそも、コペルニクス、ガリレオ=ガリレイによる地動説が生まれてきたのも、「天動説だと天体の運行をうまく法則化できない」という理由による。
たとえば、「惑星がどのように動くか」ということは、天体を観測すれば記録できる。これは「事実」なので、すべての思考の根拠は、この観測結果によらなければならない。

天動説だと、この惑星の動きを法則化するために、天球上に周天円と呼ばれる補足的な概念を導入しなければならず、しかも1つの周天円だと計算結果と実際の天体の動きが一致しないので、複数の周天円を導入しなければならない。その結果、天球上に複数の周天円が並び、体系は恐ろしく複雑怪奇になる。
さらに問題なのは、そこまでして周天円で補足しても、実際の天体の動きと周天円モデルによる計算法則が完全には一致しなかったということである。

そこで思考を転回し、「実は太陽や惑星が地球の周りを回っている前提そのものが間違っているのではないか」として、地球が太陽の周りを回っているという前提で計算を行ったところ、周天円を導入した天動説モデルより遥かにシンプルで、しかも正確な結果が得られる計算法則が得られた。
つまり、地動説は、そもそも計算上の必要から生まれたものであって、宗教やイデオロギー(「太陽が中心であるべき」という主義主張)の産物として生まれたものではない。
カトリックの教義に基づく強固な反対、弾圧があったにもかかわらず、地動説が最終的に科学者に支持されるに至った理由は、まさにこれである。

--

さて、ニュートンが万有引力の法則に着想するに至ったそもそもの動機は、ケプラーの法則にある。
ケプラーは、ティコ・ブラーエの天体観測記録から、惑星の運動を以下のように定式化した。

第1法則 : 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く
第2法則 : 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である
第3法則 : 惑星の公転周期の2乗は、軌道の半長径の3乗に比例する

過去の常識に照らせば、これはあくまで天体の動きを定式化したものにすぎず、「天体用の運動法則」にすぎなかった。
ケプラーが定式化した天体の運動と、「地球上で物が落ちる」ということとは、それぞれ全く無関係な法則に従っていると考えられていたのである。

ニュートンの万有引力の法則の発想の意義は、この天体の運動法則と、地球上で物が落ちるという現象とが、同じ法則に基づくものであることを明らかにした点にある。
宇宙において惑星が動くことと、地球上でリンゴが落ちることは、全く同じ「重力」=「万有引力」の力によって引き起こされるものであるということを示したのである。

地球上では物が落ちる 
→ 物は地球に引かれている 
→ このような物を引く力を持つのは地球だけなのか、他の惑星や太陽も同じ力を持つのではないか。星に限らず、すべての質量ある物は同じ力を持っているのではないか。
→ 太陽や地球を含む惑星がそれぞれ引き合っているとすると、なぜそれぞれがぶつからないのか。
→ それぞれの天体は、お互いに引き合う力とは反対の方向に働く力を持っているのではないか。
→ その「反対の方向に働く力」はどこから生まれたのか。
……

と思考を推し進めていった結果、天上の世界も地球上も、すべて同じ法則で動いているという発想に至ったのが、万有引力の法則の「発見」なのである。

--

この発想に至っただけでも十分すごいが、さらにニュートンがすごいのは、その運動法則を数学的に定式化したこと。
つまり、「天体の運動と地球上で物が落ちることとは同じ原理で動いていますよ」と言うだけではなく、「その原理とはこういう原理で、こういう数式で計算できますよ」というところまで示したということである。

慣性の法則、運動方程式、作用・反作用の法則を、「力」という概念(プリンキピアにおいては物体相互間の運動量の変動(交換)として定義される)を利用して、数学的に定式化したのがニュートン力学なのである。

運動を数式化できれば、「予測」が得られる。
たとえば、ある物体の重さとその物体にかけられる力が与えられれば、何分後にどの程度の速度でどこを動いているかということが計算できるのである(もちろん、摩擦等の問題もあるので話は単純ではないが)。

人間は、この「予測」に基づいて文明を発展させてきた。
ある行為を行ったときに、その結果として何が起こるかを、明確に予測できるということは、その予測できる人間に大きな利益をもたらす。
その「予測」は、近代以前は経験則によるものがほとんどであったが、近代では数学的な計算根拠によるもののほうが圧倒的に多い。

その究極の形の1つが、宇宙船の打ち上げで、あれは「どの程度の速度でどの方向に向かって打ち上げれば、目的地まで到達できるか」ということをすべて計算して発射されているのである。
たとえば、近年打ち上げられた土星探査機カッシーニ。
打ち上げの日は1997年10月で、土星軌道に入ったのは2004年6月である。
7年後の土星の軌道やスイングバイの角度等をすべて計算して、(微修正は行ったにせよ)概ね計算どおりに宇宙船を動かしたのである。

--

現在の物理学では、ニュートンの万有引力は絶対的な物理法則ではなく、重力が弱い場合の一般相対性理論の近似であると考えられている(ちなみに、ニュートン力学は、速度が光速よりも十分遅いときの特殊相対性理論の近似になる。)。

ただ、人間が通常感じるスケールのものは、ほとんどすべてこの「近似」で解説できるため、相対性理論の発見は、いささかも万有引力の法則の発見の偉大さを減じるものではない。

プリンキピアが発行された1687年は、ちょうど日本の江戸時代の5代将軍徳川綱吉の時期にあたる。
日本で御犬様御犬様とやっていたのと全く同じ時代に、天体の運行と地球上の物理法則を数学的に定式化した本が発行されているということ。

--

ここまで説明した後、先生はにっこり笑って生徒たちに呼びかける。

ね、ニュートンってすごい、万有引力の法則ってすごい、と思わない?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。