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ABT初体験 [観劇、映画]

朝から部屋を片付け、さっぱりしたところで、お買い物に。

お目当てはジュリアード音楽院の中にある本屋だったのだけど、なんと今週末はクローズとのこと。
7月4日が独立記念日で祝日だったので、三連休を休みにしたということか。

そのまま帰るのもなんだか悔しかったので、Lincoln Centerの中を散歩することに。
Lincoln Centerは、現在全面改装中。
でも、Metropolitan Opera Houseをはじめとして、主要劇場は一応ちゃんと開いている。

散歩中に、ふと目に入った看板。

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7月12日まで、ABTがMetで春公演中だったことを思い出した。
実はABTの舞台はまだ見たことがない(NYCBは何度か見たことがあるけど)。

観劇欲がムラムラとわく。
先月ちょっとお金を使いすぎたので、今月は控えめにしておこうと思っていたのに、動き出した欲求は止まらない。

ふらふらとボックスオフィスに入り、チケットを買う。
演目は、「The Merry Widow」。前々から一度見てみたかったバレエの1つ。

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チケットを買ってから開演まで少し時間があったので、近くのCD/DVDショップで時間を潰す。
ここでも、いくつかDVD(ブルーレイディスク)を購入。
NYに来てからというもの、すごい勢いでお金が減っていく。
それくらい、この街は、今の自分にとって「欲しいもの」、「見たいもの」に溢れているということなんだろう。

時間になり、Metに向かう。
Metの外見はこんな感じ。
ちゃんとABT公演の垂れ幕がかかっている。

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劇場の中。

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座席から見た舞台。少し安いチケットだったので、舞台まで遠かったのが残念。

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(以下、多少のネタばれあり)

さて、ABTの「The Merry Widow」。

とても素晴らしかった。

ダンスの質、演技の質ともにものすごくレベルが高い。
ロンドンのロイヤルバレエやパリのオペラ座パレエに全くひけをとっていない。
1つ1つの動きにキレがあるというか、舞台のどの場面を切り取っても1つの「画像」として成立する。
テンポもとてもよく、ストーリーが明確に伝わってくる。
オペレッタをバレエにして、実力ある人たちが演じると、こういう歯切れの良さになるのか。

幕間にPlaybillを見ていたところ、主要キャラの1人であるValencienneのところに日本人の名前が。
ABT唯一の日本人ダンサー、加治屋百合子さんだった。

http://www.mbs.jp/jounetsu/2007/03_04.shtml

第一幕を見たときに、なんとなく「アジア人っぽいなあ」とは思っていたけど、まさか日本人だとは思わなかった。
日本人がABTでValencienneクラスの役を踊れる時代になったんだなあ。
おそらく、今この舞台に立つまでには、数限りない苦労があったことだろう。

踊りも素晴らしく、主役のHanna役のprincipal dancer、Irina Dvorovenkoを食うくらい華のある踊りだった。
この実力をもってすれば、おそらくそう遠くない日にprincipalになるのではないだろうか。
日本人だからというよりは、純粋にバレエダンサーとして、今後とも見守っていきたい。

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公演が終わるとすっかり夜に。
夜のMetはきれいにライトアップされていて、とても美しい。

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ちなみに、こちらはNYCBの本拠地でもあるNew York City Opera。
Metと同じく、Lincoln Centerの敷地内にある。

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Lincoln Centerには、Broadwayに負けず劣らず通い詰めることになりそうだ。

ミュージカル三昧 [観劇、映画]

「三昧」というほどではないけど、NY到着2週間で2つほどミュージカルを見てきました。

さすがにこのペースを維持するのは無理だろうけど、せっかくbroadwayまで地下鉄で10分という環境に住んでいるので、これからもどんどん見ていければと。

過去に見た経験も踏まえて、NYブロードウェイの良いと思うところ、悪いと思うところは以下のとおり。

〇良いところ

・本場だけあって、劇場の作りがしっかりしている。安すぎる席でない限り、ほぼ舞台すべてを見渡せる。音響効果も素晴らしい。

・歌とダンスの質が圧倒的。この点ではロンドンのはるか上を行くと思う。さすが世界中から最高の人材が集まってくるだけあって、舞台に立つ人間は想像もつかないような競争を乗り越えてきたのだろう。

・舞台の言語が英語。当たり前かもしれないが、日本では基本的に日本語訳のミュージカル(要するに四季のミュージカル)しか見られないことを考えると、いつでもどこでも英語のミュージカルを見られるのはとても嬉しい。四季の輸入版ミュージカルの再現性は最大限認めつつも、やはり歌詞を日本語にしてしまうとオリジナルにある韻もニュアンスもほぼ失われてしまうのが痛いところ。

×悪いところ

・チケットが取りにくい。当日劇場に行って良い席を取るのはかなり難しい、というかほぼ不可能。ロンドンだと、人気ミュージカルでも当日にわりと席が取れてしまうので、それと同じように考えて当日劇場に行ったらあっさりダメだった。

・チケットが高い(もちろん安い席もあるけど)。正面の方の席はは150ドルもする。20回行ったら30万円強…

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(以下、多少のネタばれがあります)

先々週は、とりあえずのお約束ということで、Phantom of the Operaを見てきました。
こちらは評価低め。
登場人物全員の演技、感情表現が大げさすぎて、見ている側がかえってひいてしまう。
Christineがただの尻軽女にしか見えないような演技に興ざめ。
ロンドン版は素晴らしかったんだけどなあ…
やっぱりアメリカ人にはあれくらい大げさな感情表現じゃないとわかりにくいということなんだろうか。

で、先週末は、Wicked。
これは本当に素晴らしかった。
最初から最後まで鳥肌立ちっぱなし。

日本で四季版は見たけど、(四季版がとても頑張っていることは認めつつ)残念ながら比べ物にならない。
ダンスや歌の質、舞台の迫力いずれも圧倒的。
完全にはまった。
NYにいる間に、通い倒しそうな予感。

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(以下ネタばれ強)

それにしても、Wickedの元ネタの、「Wonderful Wizard of Oz (オズの魔法使い)」は、本当にアメリカ人にとってはおとぎ話として、心の一番深いところに刻み込まれているのだなあと。

Wickedは、Wonderful Wizard of Oz を知らないと、ほとんど話の内容が理解できません。

Galinda改めGlindaが誰で、どういう人なのか知らないと、冒頭部分から理解不能。
もちろん、ストーリー全体もオチも理解できない。
なぜElphabaが「西の魔女」かもわからないし、Elphabaが「死体からスリッパを奪って履くなんて信じられない」と怒る理由(そこで笑いが起きる理由)なんかもわからないでしょう。

他にも、第2幕で、Elphabaが実家に帰ってきた理由を聞かれて、「There is no place like home」と答えるところで観客から笑いがおきるところとかも、「観客のほとんどがWonderful Wizard of Oz を(英語で)読んだことがある人」という前提で初めて成立する計算です。
(きっと他にもこういう部分っていっぱいあったんだろうなあ。さすがにこのあたりの細かい話になると2割くらいしかわかかりませんでした…)

Wonderful Wizard of Ozが書かれたのは、1900年。
アメリカの独立記念日が1776年であることを考えると、国が成立してから今に至るまでの期間のほぼ半分にわたって、アメリカ人に読まれ続けている作品。
もはや古典として、これからも語り継がれていくのでしょう。

そして、Wonderful Wizard of Ozが語り継がれる限り、Wickedも語り継がれる。
この作品はそれだけのパワーを持っていると思います。

劇団四季の「ウィキッド」 [観劇、映画]

ようやくネットにつながりました。
インド話は別館ブログでさんざん書いているので、こちらでは少し違う話を。

インドに発つ前に、劇団四季の「ウィキッド」を見てきました。
原ミュージカルは、もちろんブロードウェイの「Wicked」(Wickedは、「邪悪な、悪い」という意味)。
発音を日本版のタイトルにするのであれば、「ウィックェッド」とでもするのが正しいと思いますが、これだとあまりにも語呂が悪いので、やはり「ウィキッド」が妥当でしょう。

「オズの魔法使い」でのやられ役の「西の悪い魔女」を主人公とする、「良い魔女グリンダ」、「オズ」、「東の悪い魔女」その他オズの魔法使いの登場人物に関わる隠された物語、というのがストーリー。
こういうサイドストーリーは思いついた者勝ちなので、最初に「オズの魔法使いの悪い魔女にスポットを当てたストーリーを作ろう」と思いついたWickedの原作者はたいしたものだと思います。

結論からいうと、四季版の「ウィキッド」は素晴らしかったです。
例によって、「英語で演じられることを前提とした歌劇」を日本語で演じることによる限界はちらほら見られますが、これはしょうがないでしょう。
劇団四季の輸入モノのミュージカルの中では、かなり良い出来だと思います。
日本に帰ったときに、機会があればもう一度見に行きたいです。

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以下、ネタバレの内容を含むので、ご注意ください。

あえて注文をつけるとすれば、以下の点くらいでしょうか。

・エルファバとの関係を聞かれた際のグリンダの対応
英語版では、「It depends on what you mean by “friend”」とさらりと受け流していますが、四季版では2人が友達であったことを否定するような表現が出てきます。
2人が友情を確かめ合う名曲「For Good」(英語版の原題。以下同じ。)から繋がるエルファバとグリンダの関係を考えると、否定的な表現は避け、「友達にも色々な仲がある」という程度の訳がよかったと思います。
英語版のグリンダの「It depends on what you mean by “friend”」という表現には、質問者が期待する回答とは逆の意味の回答という含みがあるわけですが(悪い魔女とグリンダが友達だったということを信じたくない質問者は上記回答を聞いて「ああ、大学の同級で知り合いという程度だったんだな」と解釈するのに対し、グリンダは「かけがえのない親友である」という意味で回答しているという、質問者と回答者の解釈の相違を利用したグリンダのエスプリの効いた回答だと思います。)、今の日本語版ではそのニュアンスが完全になくなってしまっています。

・フィエロの歌の歌詞
英語版では、フィエロは、その登場曲である「Dancing Through Life」や、エルファバとのデュエットの「As Long As You’re Mine」で、数回brainlessという単語を使います。
歌中では、「愚かな、考えなしの」という意味で使用されていますが、わざわざfoolやfoolishという一般的な単語を使わず、brainlessという単語を使っているところに、実はとても重要な後の伏線があるので、これを何とか再現してほしいと思います。とはいえ、日本語で「脳なし」と訳してしまうと、舞台では使いにくい単語になってしまうので、悩みどころではありますが。

・「I’m Not That Girl」の使い方
この曲には、後にrepriseがあるのですが、関連性がややわかりにくくなってしまっています。自分に恋愛は縁がないとあきらめていたエルファバが、実は最も愛する人に関してだけはグリンダに勝っていたという、エルファバの諦念とグリンダの悲哀をrepriseを利用して同時に表現する名曲なので、関連性をもっと前面に出してもよいと思います。

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とはいえ、上記はいずれも細かい話といえば細かい話です。
四季版の「ウィキッド」が、全体として出来がよいことは間違いありません。

ちなみに、見に行かれる際は、あらかじめ「オズの魔法使い」のDVD(ジュディ・ガーランド主演の廉価版)を見ていかれることをお勧めします。


West Side Story [観劇、映画]

West Side Storyを見た。
家に帰って寝るまでの30分見るということを繰り返して数夜。

中学校のときに音楽の授業で見せられた以来の鑑賞。

意外に深いテーマを持っていたことに驚く。
争っている2つのグループは、単純に喧嘩抗争しているわけではなく、白人とプエルトリカンとの人種抗争的な意味合いが前面に出されている。
批評を見ると、どこでも指摘されていることなのだが、そういう背景を知らなかった中学生のときは、単に日本の暴走族グループ同士が争っているのと同様に捉えていた。
単一民族国家(最近はそうでもないが)に生まれ育ったが故に、肌で理解できない感覚というものはあるのだなあと。

ミュージカル映画らしいミュージカル映画だった。
構成面では、視点や構図を色々変えることができるという映画の利点を、(おそらくは意図的に)あまり使わず、「ミュージカルの舞台席から見たときの構図」にかなり固執しているようだ。特に、ダンスホールの構図は、舞台席正面から舞台を見たときの構図がずっと維持されていた。

また、ストーリーを追いかけることよりも音楽を重視しており、やや説明不足と感じる部分があった。ミュージカルはすべからく説明はあまりしないものだけど(だから、通常初見では意味がわからない展開がある。)、映画で全く同じようにすることには賛否両論あるだろう。 個人的には、せっかく映画という媒体を使っているのだから、回想シーンによる背景説明など、「映画だからできること」をもっと多用しても良いのではないかと思った。

とまあ、ぐだぐたと感想を述べてみたけど、やっぱり Tonight は良い、ということで。


メカゴジラ [観劇、映画]

不意にどうしてもゴジラが見たくなり、DVDを買って、ゴジラ対メカゴジラ(2003年版)を見た。
ゴジラの映画なら何でも良かったのだが、アマゾンで見てこれが近年のゴジラで一番評価が高そうだったので。

昔は怪獣映画好きで、特にゴジラシリーズは見に行っていたのだが、特に理由もなくあるときを境に全く行かなくなった。

約15年振りに見たゴジラの感想……を書くつもりはない。
大人が子供の頃夢中になって読んだ絵本の感想を書いても仕方ないだろう。

相変わらずゴジラはかっこよく、メカゴジラもかっこよく、それを確認できて良かった。

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大人の独り言

ストーリーの必然として、「ゴジラに対抗するのにメカゴジラを作る」ということを、何となく観客に納得させてしまう映画の力ってすごいと思った。
メカゴジラに搭載されている兵器の何一つとして、「ゴジラの形をした機械に搭載する」必要などないのに。

でも、アブソルート・ゼロはとてもかっこよかった!


Lion King [観劇、映画]

実は、先週はけっこう仕事が暇だったため、「家で働く」という名目の下、平日に1日お休みをとっていました。(最近のブログの更新頻度で気がつかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、最近結構余裕があるのです(^^))

朝から少しだけ仕事をして外出し、昼頃帰ってきて英語の勉強を始めたのですが、夕方頃ふと思いついて、劇団四季のミュージカル「ライオン・キング」を見に行ってきました。

日本語版を見るのは2回目ですが、相変わらず見ると元気になる舞台です。
「オペラ座の怪人」ほど日本語と英語のギャップを感じないのも◎。
もともとディズニーのアニメが原作なので、(子供向けを意識して)そんなに難しいセリフ回しがないことが、英語版と日本語版のギャップを少なくしている理由の1つではないかと。

このアニメ、発表当時に日本人の一部マスコミが「『ジャングル大帝』のパクリだ!」と随分息巻いていましたが、「主人公がライオンの王の息子」という設定だけを見てそのように報道していた疑いが極めて濃厚です。実際、内容とかテーマはまるで違いますから。
そもそも、アニメが日本の文化というイメージが浸透している現在ならともかく、当時(1994年発表。企画、製作は当然それより前)、米国のディズニースタジオがアニメを作成するにあたって本気で日本のアニメを真似る必要があったとは到底思えません(露骨な言い方をすれば、当時、ディズニーは日本のことなど眼中になかったと思います。)。
だいたい、「ライオン=動物の王」、「王子が主人公」というのは、きわめてベタな設定といえ、単に偶然設定が一致したと考えるのが自然です。

設定だけ見て「ついにディズニーも手塚作品のパクリを作った」と、日本の大衆文化がアメリカのウォルト・ディズニー様に真似られたことを屈折的に大喜びしていた日本のマスコミ。
ひいきのひきたおしとはこのことで、手塚治虫大先生も草葉の陰でさぞご迷惑であったことでしょう。

笑えないのが、今でも相当数の日本人がこのときの報道によるインプリンティングにより、「『ライオン・キング』は『ジャングル大帝』のパクリである」と信じていることです(ちなみに、この説を信じている人は、「ジャングル大帝」も「ライオン・キング」も見たことがないという方が多いです。まあ、見れば設定以外は全部違うということがわかりますから信じ続けられないということでしょうが。)。

「ジャングル大帝」はそれ自体独立して素晴らしい作品であることは間違いありません。あえて「『ライオン・キング』が真似た」などという根拠のない話を持ち出さずとも、その名作としての評価がゆらぐことはないでしょう。
それにしても、今でもパクリだと純粋に信じ込んでいる人がけっこういる(私の身近にも複数いました)のを見るにつけ、マスコミによる毒というのは恐ろしいものだとつくづく思います。

さて、「ライオン・キング」はアニメもミュージカルも音楽が素晴らしいです。
アフリカのビートに乗せて始まるオープニングに始まり、全編アフリカンビートとエルトン・ジョンその他の作曲家達の音楽が絶妙に溶け合っており、絶品に仕上がっています。
特に、英語版ミュージカルのサントラは毎日聞いても飽きず、とてもお勧めです。

ストーリーも、単純ですがテンポ良く飽きない内容になっていて、大人は大人なりに、子供は子供なりに十分楽しめます。
ただ1つだけ、最後の秘密の暴露のシーンはあまりデキが良くないと思います。自分が父を死に追いやったと信じていた主人公が真実を知る超重要な場面なのですが、「真実」の根拠が敵役の自白しかありません。しかも、見ている人の多くが、「え、そんなのでいいの?」と思うくらいあっけなく自白しています。また、場面的に、脅迫して無理やり言わせたともとれるシチュエーションになっているにもかかわらず、周囲がその自白をあっさり信じるのも拍子抜けの感が否めません。
ここは何か物的証拠の提示や共犯者の自白等の客観的証拠が欲しかったところです(法律家っぽい意見ですが)。

全体としては十分水準以上の作品ですので、未見の方には、まずはアニメから初めて、もし機会があればミュージカルも行ってみるというのがお勧めです。


劇団四季のオペラ座の怪人 [観劇、映画]

実は、今日まで休暇を取っていました。

といっても、なぜか緊急案件が多数発生してしまったため、8、9、10と毎日数時間ずつ事務所には出ていました(休暇ちゃうやん、という突っ込みはなしでお願いします…(- -;)

で、今日も夕方ころ2時間ほど事務所でメール整理等していたわけですが、ふと思い立ち、四季劇場に「オペラ座の怪人」を見に行くことにしました。
当日券の有無も確認せずに現地(カレッタ汐留内の四季劇場)に行ったのですが、日ごろ馬車馬のように働いていることを神様が哀れんでくれたのか、幸いにして2席ほどあまっていました。
で、そのうちのより良い席をチョイスし、中へ。

実は四季の「怪人」を見るのは2回目なのですが、最初に見た後に英語版を何回か見、映画も見た後に、再度四季版を見た感想です(相当主観が入っていますので、ご気分を害された方はご容赦ください。)。

・やはり、もともと英語のミュージカルを日本語でやるのには無理がある。
→言語自体の特性として、英語のほうが短い時間でたくさんの情報を伝えることができるため、本来英語で歌われているメロディーに載せて日本語で歌を歌おうとすると、どうしても本来よりも少ない情報しか伝わりません(もっとも、これは「怪人」だけの問題ではありませんが)。ストーリーを知っていないと、「??」となる台詞、歌詞がたくさんありました。今日の席には、おそらく初見であろう東北の中学生の団体客も見にきていたのですが、たぶん本来のストーリーは半分も理解できていないでしょう。
また、これも仕方ないのですが、英語版にある歌詞の韻や言葉遊びが全て無視された形になっているのも残念。英語版では、ほぼ全ての歌詞は韻を踏んでいます(「マスカレード」などは、韻を踏ませるのが第一で、そのために言葉を選んでいるという感さえあります。)。日本語でも韻を追求しようとすると、今度はストーリーが伝わらなくなってしまうため、難しいところではあるのですが…
あと、またまたこれも仕方ないのですが、英語でないとなんとなくしまらない歌詞というのもありますね。past the point of no return が「戻れぬ」など、悪くはないのですが、歌に乗ってしまうと「うーん」という感じになってしまいます。

・曲のテンポが速い
→英語版が1としたら、四季版は1.2~1.3といったところでしょうか。
とにかく曲のテンポが速く、「point of no return」で特にそれを感じました。
これははっきりと良くない、と思います。
曲調が早いと歌詞も早口になり、ただでさえ聞き取りにくいミュージカルの歌詞がよく聞こえなくなりますし、何よりタメがなくなってしまいます。、「point of no return」の最後で、怪人とChristineが合唱するパートはこの作品のクライマックスの1つですが、そこを早口で駆け抜けられたために、「Christineが恐れつつも芸術美の象徴である怪人に心惹かれていること」を表す最大の場面でのタメがなくなってしまったのはとても残念でした。

・とはいえ、四季版は四季版で、十分に楽しめる。
→上述したように、英語と日本語の言語としての特性の違いから、四季版の台詞、歌詞に込められた情報は少な目になっており、かつ、内容的にもオリジナルとは大幅に違いますが、英語版を知らなければこれはこれで十分に良い作品でであると思えます。
むしろ、これはこういう作品として完成しており、変に無理やり英語版の全ての情報を伝えようとしていないところが良いのでしょう。

とりあえず、それなりには満足し、帰りはカレッタで天ぷらそばを食べて帰りました。

さて、明日から仕事再開です。がんばろっと。


久々のLive [観劇、映画]

行ってきましたよ、前から行きたかったあの人のライブに。

一青窈/2006ツアー 「Yo&U」 東京国際フォーラム 4/15(土)
http://columbia.jp/~hitoto/info.html

相当好きです、ええ、好きですとも。
「アイドル」要素を排して、「女性アーティスト」でここまで単純に好きと思える人は久々です。

知性のひけらかしの少ない(ない、とは言わないけど…)立ち居振る舞いと歌詞。
確かな歌唱力。
衒いなく人間の感情を歌い上げる表現力。
良い、と思うのです。

会場を見渡すと、若いカップルから親子連れ、老夫婦など、本当にいろんな人の顔が見える。これほど多くの層から指示されている20代(ギリギリだが)の女性アーティストも珍しいのではないか。

この人は「ハナミズキ」等のバラード系のヒット曲が多く、シングルの曲の多くは同系列のしっとりと歌い上げる曲なのだけど、どうしてどうしてアルバムを聴くと激しい曲、楽しい曲、ぼんやり聞いていて何となく幸せになる曲など、バラエティーに富んでいる。

お約束で、ライブの初めはアップテンポな曲から始まった。
観客を立ち上がらせて手拍子させる様子に、斜め前にいた老夫婦が面食らっているのがわかる。
きっと、彼らの心の中ではこんな会話が交わされているに違いない。
「なあ、母さんや、わしらは間違えて同姓同名の人のコンサートに来たのではなかろうか」
「でもこんなに珍しい名前の人はほかにいませんよ…」

それでもやっぱり全体的には静かな曲が多いようで、なかなか全曲ノリノリで立ち上がらせるといわけにはいかないようだ。
まあ、そのあたりは本人も十分にわかっているようで、無理せずに座ることを勧めるシーンもあった。

ステージ衣装といい(遠くてはっきり見えなかったが、メイド服系?)、アップテンポで盛り上げていこうとしていくところといい、一つ間違えば「自分の違う面をあざとく見せたがっている」、「無理をしてライブを盛り上げようとしている」と思われかねない演出だが、わりとすんなり受け入れられているのはあんまり不自然感がないからだろう。だって、本人は昔からアルバムではアップテンポな曲も、壊れ感のある曲も歌っていたわけで、ただ様々な思惑で出されるシングル曲がそういうものでないことが多いというだけのことだったのだから。

2時間強のステージだったが、あっという間だった。
こんなに「幸せ」に聞いたライブステージはいつ以来だろう。

決して派手ではなく、終わった後にカタルシスがあるステージというわけでもないけど、また機会があれば行きたいな、と思わせる舞台だった。
帰り際には、お土産として「クチナシ」の苗木をもらった(前回は「ハナミズキ」の苗木だったそうだ)。
60年くらいの寿命があるそうで、少しでも緑を増やしたい、という思いから皆に持って帰ってもらおうと思ったのだそうだ(偽善、と呼ばれるかもしれない行為をあえて辞さないところが強さなのだろう。自分が彼女の立場ならこれはできないだろうな、と思った。)

アルバムの中でも、ステージの中でも一番のお気に入りは「アンモナイト」。

「あなた想って2億年たってまだ移ろいもせず呼吸してる」
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B12733

2億年たっても「あなた」を想っていることが自分にできるだろうか。


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